富山佳奈利のメール日記です
メールマガジン『深夜の理科のムダばなし』は、私が「日々の隙間で感じたこと、考えていることなどをゆるゆると書いておく」という無料企画です。
私の中の「手紙魔」が21世紀に蘇った
子供の頃から手紙が大好きで、何人もの友人たちと「文通」をしてきました。20世紀末には、年間1000通を超える手紙を書き、毎日何通もの手紙がポストに届く毎日でした。
なかなか大きめの人生の転機が立て続けに起こり、文通どころではない数年を駆け抜けたのが21世紀の初頭。そこから10年ほどは息を潜めて暮らしてきました。
急に、文章が書けなくなった!
地に足の着いた会社員として憧れだった会社に勤めたこと、病気をしたこと、震災、コロナ…。文字通り怒涛の日々を送る中で、なんとかフリーランスのライターとしてのお仕事が増えてきたある日、突然文章が書けなくなりました。程なくして、文字が読めない状態が重なり、絶望の日々。
結果的に、長期間積もり積もった過労とストレスで脳がシゴトをボイコットしていたようなのですが、仕事人間を自負していた自分の脳が、まさか「シゴト」を拒否していたなんて!自分で自分に裏切られている状況に大混乱。数か月、強制的に頭を空っぽにすることで、少しずつ回復してきています。
私は手紙が書きたかったのだ
で、思い出したこと
そんなかなでも、「私信」ならこれまで通り書けていました。まぁ、長文のお手紙はさすがに書かなかったのですが、気の置けない友人にカードやはがきで「最近っどぉ?」というのは問題なくできている。メールでも、私信ならそれなりに書けている状況なのです。
鈍った頭で自分なりい分析を重ね、辿り着いた答えが「私は手紙を書きたい気持ちに対し、罪悪感を持って封印してきた」ことが発端かな?と。
だったら、一番楽しかった頃のように、手紙をたくさん書けばよいではありませんか。
ただし、当時と違って、友人とはいえ住所どころか本名さえも知らない人の割合が増え、連絡先も勤務先という人が殆ど。
そのような属性の相手に対し、唐突に私信を送るのは、怪しいし、楽しくない。
そこで、誰かが受信してくれているであろうメールニュースのシステムを使ってみることにしました。
私の小さなwonderが、誰かにとってささやかなenergyになることを願って。